Guitars590’s blog

愚か者の力を馬鹿にしちゃあいけない。

この国は

いったい何時からこうなったのだろう?
大阪市の件である。
かの市長は、今日までに今回の件で3つのことを主張している。
1,該当校の教職員の移動(全員)
2,入試の中止
3,予算執行の停止
これで本当に良いのだろうか?
これでいじめが無くなるのだろうか?
これで今回の全ての問題が解決するのだろうか?
私には、どう考えてもそうなるとは思えない。
これは該当校(含む該当校の教職員・在校生・保護者・志願者)へのいじめだ!
仮にも市立高校である。
市長たる者として取るべき対応策では無かろう。
2の入試の中止と3の予算執行の停止に関して言えば、取り方によっては、違憲になるのでは?
市長は今回の場合、当事者全員の味方になるべきではないか?
心に傷を負った在校生や教職員へのケアはどうなっているのか?
これから希望を持って入学してくる生徒と保護者には、入試の中止ではなく、市長自らが再発しない(させない)ことを誓い、安心して入学の道を開いてやるべきではないか?
彼の元の職業がさせるのだろうが、どうも懲罰が好きなようである。
懲罰によってもたらされるのは恐怖政治であると考える。
大阪市は大変な人を市長にしてしまった。
彼のやり方は、昔から変わらない。
まず、自分を正当化するために敵を見つける。
敵は立場が弱い方がよい。
公務員を槍玉に挙げることが多いのはここに理由がある。
 注:公平に書くために。(ま、本当にどうしようもない公務員も存在する)
その弱い敵を、さも強敵に見せるところから始めるのだ。
この場合、マスコミを上手く使っている。
決して、個々の公務員の個人的な意見などTVでは流されない。
彼の主張のみが大きく、本当に大きく取りざたされる。
マスコミを使う点では、小泉元首相と同じ手法である。
そして、敵の存在が世間一般に広く周知されたところで、攻撃を始める。
攻撃は、周到な準備の元に行われる。
もともと本来弱い立場の敵であるから、彼の勝利に終わる。
ここでまたマスコミを、自己肯定のために使う。
彼はそうして現在の立場にのし上がってきた。
今回のやり方も同じである。
ただ、今回は学校という実態の掴みにくい相手である。
単に今までのやり方で、つまり懲罰を加えるようなやり方で良いのだろうか?
無論、学校の長である者の責任は問われるべきであろう。
校長に校長として能力があったとは、私も決して思えない。
管理職の登用のあり方も議論されるべきであろう。
教諭の登用のあり方も同様である。(採用試験の事ね。)
同時に市長の責任も問われるべきだ。
法的な処分以上に社会的な制裁を受け易いのが現代日本である。
学校を構成するのは教員だけではない。
保護者・在校生・卒業生・志願者・地域の方々・その学校のOBやOGなどなど。
その存在ににまで彼は気を配れているとは思えない。

私が市長にして欲しいこと。
それは一つである。
該当校で全てのクラスで道徳の授業をして欲しい。
倫理社会でも良い。
そこで、市長の思いを生徒達に伝えて欲しい。
救われる生徒はいるはずである。
また、生徒と毎日掃除の時間に清掃して欲しい。
部活動を見て欲しい。
それくらいやっても良いのではないか?
え、党のお仕事が忙しいので無理か。

ま、振り上げた拳の下ろしどころに注目したい。