Guitars590’s blog

愚か者の力を馬鹿にしちゃあいけない。

1930 to 1960s
 この時期、大手のギターメーカーでは同じようなナチュラル・フィニッシュが用いられていた。しかし、シュラックやバーニッシュは1920年代末までにはすたれており、刷毛塗りからスプレーによるトップコートになっていた。サンバースト・フィニッシュがギブソン・エピフォン・グレッチなどで一般的になっていった。ギブソンやその他のメーカーが木地に直接スプレーで染めたり着色したりして陰影や色調を整えていたのに対し、マーチンのサンバーストはラッカーによる陰影でサンバーストを表現していた。1930年代初期の安価なモデルの幾つかは、ピグメントで着色されていた。それは、楽器の端に行くに従って、木目が不透明で見えなくなっていくことからわかる。高価なモデル、ニック・ルーカスのようなフィギュアド・メイプル・モデルなどでは、トラ目の美しい模様を隅から隅まで透き通って見ることができる。
 ギブソンの職人たちは確かな実験をして、独創的なライセンスを得た。その結果、私たちは多様な仕上げ方を学ぶことができるわけだ。1920代初期から、ギブソンは他のメーカーの先駆けとなるような塗装を確立していた。(無論、未だにギブソンはトップメーカーである)フレームトップの1958年型のレスポール・スタンダードのベースコートに黄色の上からチェリー・レッドを使ったことは、現代のシースルー・カラーに大きな影響を与えた。(PRS、ハマー、トム・アンダーソン、ブライアン・ムーア、ペドゥラなど枚挙に暇がない)この「チェリー・サンバースト」はギブソンの1939年製J-35というフラット・トップ・ギターに最初に用いられた、と言うことは覚えておいて良いだろう。
 これらの創意工夫に富んだ仕上げを複製することは難しい。サンディングやスクレイピングで塗装の層を順に剥がすことなしに、ギブソンがどんなどんな材料をどんな手順で使っていたのか正確に解明することは難しい。また、たとえフィニッシュを剥がしても、どのように塗装されたかをあなたが理解できる保証はない。というのも、ラッカーの連続した塗膜は下の塗装と溶け合っているからだ。塗装同士が一体となっているのだ。(特に熟練工が仕上げた薄い塗膜の時には、なおさらである)加えて我々は、ビンテージ・フィニッシュを剥がすなどと言うことは絶対にしない。一般的に我々は、顧客にそんなことはするな!とアドバイスする。それはギターの価値を傷つけ、価値ある歴史を消し去ることになるからだ。だから、折々の風評(噂)や酷くダメージを受けたギターから得る経験以外に、ギターフィニッシュの歴史から想像することでしか多くを学べないのだ。
 まず、ギター産業だけでなく、注意を払って、家具産業にも目を向けてみよう。1950年代を通じて、フェンダーのブロンドカラーやギブソンのTV、それからリミテッドマホガニーの仕上げ、グレッチのプラチナ・グレイなどといった仕上げはこの時期のブロンドの家具やピアノの仕上げをしっかりとコピーした物だった。自動車産業の影響は、グレッチ・キャディラック・グリーン、ギブソンレスポール・ゴールドトップなどのメタリック・フィニッシュやフェンダーのフィエスタ・レッド、ショアライン・ゴールド、レイク・プラシッド・ブルーなどを含むカスタム・カラーに見られた。
 ギターにカラーリングを施す点で、1950年代、グレッチは他のメーカのリーダであった。グレッチは明るい輝きをギターの仕上げに用いたり、ドラムに用いるパールセルロイドでシルバー・ジェットやデュオジェットなどの表面を覆うといった点で、独自の存在であった。もちろん2トーンのアボガド・フィニッシュやアニバーサリーモデルのエンドウ豆スープの色「スモーク・グリーン」などといったグレッチの塗装は、いまでも素晴らしいといえる。(グレッチは勘違いして、台所用具を観察したのではなかろうか?)
 1960年代初頭から中期にかけて、大きな会社は仕上げにほんの少し変化が見られるようになる。グレッチやフェンダーギブソンが、ソリッドカラーやメタリック・ステインやサンバーストなどの仕上げを続ける間、マーチンは伝統的な仕上げにこだわっていた。ギブソンレスポールのチェリー・サンバーストをハミング・バードやJ-45といったアコースティック・モデルに使い始めていた。皆さんは、それを実感することができないだろう。というのも、紫外線が原因で、1960年代初期のチェリーサンバーストは、茶色に退色してしまったからだ。1966年製のギブソンハミングバードやJ-45のほとんどは、サンバーストから赤が退けてしまった。
 1960年代末期の「フラワー・パワー」は、70年代にかけてのフィニッシュに影響を与えた。フェンダーペイズリー柄やフラワープリントのサイケデリックなヒッピー・フィニッシュをフューチャーし、ブラウンライスやサンダルと同じくらい、人工的な自然柄が一般的になった。完璧なゴールドトップのレスポールの表面が剥がされ、ナチュラル仕上げにされる様なことは、よく見かけられた。これは恐ろしい状況をもたらした。というのも、見栄えの良さや、似合うといったことから、ゴールドのペイントは必要とされなくなたのだ。
 また、1960年代末になると、アメリカの国中に個人のギター製作者やリペアマンたちが自分の店を開き始めた。大部分は独学で、これらの新参の製作者はフィニッシュの工程よりもウッドワーキングの方がやさしいという事に気づいた。そして、ごく少数がギブソンやマーチンの工場製品と競い合うことができただけだった。多くの若いビルダーは、シンプルなオイルやワックスのフィニッシュを用いた。このことは彼らが木の持つ自然の美しさを求めていたという事実を思い起こさせるのだ。いまだに、これらビルダーのリーダーであるアレンビックはナチュラルフィニッシュの、出音と同じくらい素晴らしい外観と感触の楽器を作るのに完全なテクニックを必要としたのだ。