その年の彼女の誕生日は、河口湖の民宿で迎えた。クラスの有志が20人ほどで河口湖に出かけた。伊勢物語研究会という架空の研究会の名前で誰かが宿をとり、その話に乗っかったものたちが20人ほどいた。彼女を誘うと一人では嫌だと言う。「誰でもいいから誘いなよ。」というとクサカをさそいたいと言う。クサカは別のクラスだったが、高校の時から彼女の親友だった。クサカも自宅から通う学生だ。去年、2年生の時に文化祭のミスコンに出た。彼女のクラスの男子学生の一人が応募し、予選をクリアして本選にまで進んだ。結局、3位という成績だった。それ以来、彼女のファンクラブのようなものまで結成されたらしい。彼女がクサカを誘ったことがわかると、クラスのほかの女子も参加したいと言ってきた。クサカは女子学生にも人気があった。結局、総勢が20人を少し超えた。
イセの車に、クサカと彼女、イセと私の4人が乗った。クサカはデニムのワンピースの上からGジャンを羽織っている。クサカも彼女と同じで胸が薄いからそういう格好がよく似合う。彼女は茶のコットンパンツにぺったんこシューズ、白いブラウスの上から黄色のトレーナーを肩から羽織っている。この二人は本当に美人だ。クサカは天然パーマなので髪を長くすることはないのだそうだ。長くすると雨の日に髪が反乱を起こすのだそうだ。細くて長い首の後ろ側が非常に儚げだ。この二人が並ぶと対照的な美人が並ぶことになるので、なかなの見ものだ。
私はいつものジーンズにタンガリーシャツ、紺のトレーナー。スタジャンは車のトランクの中だ。イセも私と似たような恰好。そして車は30系のカローラHTだ。中央高速で右に競馬場を見て左にビール工場を確認すると、クサカは「本当に荒井由実の歌の通りなんだね。」と言って笑った。
河口湖で一休みし、本栖湖や精進湖を回り、氷穴にも入った。途中の広場でほかの車と合流し、「だるまさんが転んだ」をやった。夕方宿に入り、宴会だった。途中でスドウとイセがバースディ・ケーキを搬入した。彼女はろうそくの火を一息で消した。彼女は21歳になった。
夜中を過ぎ、クサカが眠そうだったので彼女はクサカと部屋に下がった。30分ほどして宴会の場所に彼女が戻ってきて私の隣に腰を下ろした。
「クサカは?」
「寝た。」
「違うクラスの中で溶け込んじゃうんだから、大したものだ。」
「浴衣姿が見たかったな。」彼女は昼間と同じコッパンと黄色のトレーナ姿だ。
「クサカの?」
「違う。」
「私の?」
「そう。」
「浴衣は裾を気にしなくてはならないからこの格好よ。このまま寝られる。」
「なるほど。んー、俺も疲れた、部屋に下がるよ。」
「ついて行っていいかな?」
「うん。」
私たちは私とイセの部屋に入った。イセはまだ宴会場で飲んでいる。2人で布団の上に仰向けになり、しばらく天井の明かりをみていた。
「今週の『エリア88』もう読んだ?」
「まだ読んでないわ。」
「俺も読んでないんだ。この後シンはどうなるんだろうね。」
「結婚したけどさ、何も変わらないね。」彼女が強引に話題を変える。
「うん。もっと、劇的な変化があるかと思ったけれど、変わらない。」
「21歳になったけれど、昨日の続きだわ。変化なし。」
「まあ、それはそれで幸せなんじゃないかな?」
「そうね、ささやかだけれど幸せなんだろうね。」
「幸せなタマキはどうすんだよ、卒業したら?」
「まだ、卒業までは1年以上あるわ。」眠そうに彼女は言う。
「それしかないじゃん。」
「んー、取り敢えず離婚かな。」
「そうだな。卒業したら離婚だ。」
「なんか凄い話をしているね、私たち。」
「人には聞かせられない話だ。」
「そっちはどうするのよ?」
「離婚したら、聴講生になる。聴講生になって教育実習にいく。」
「そっか、落としたんだっけ単位?」
「落としました、見事に。」
教育実習の単位を落としたのは私とイセ、クドウの3人だけだった。つまり私たち3人は4年生で教育実習に行くことはできない。4年生でもう一度、教育実習に行くための単位を取り。卒業後に教育実習をしなければ免許を取れない。
「でも、教員になるんだ?」
「一応ね。食っていかなければならないからね。」
「私も教員やろうかな。本当は卒業して花嫁修業を半年して秋に結婚するという予定なのよ。結婚は早い方がいいって両親が言うのよ。」
「あはは、もう結婚しているのに。そういう点じゃご両親の意向に沿っているな。」
「そうね。あなたには感謝しています。」
「お、あなただって?初めて呼ばれた、あなたって。」
「あなた、手をつなぎましょう。」
布団の上で仰向けのまま私たちは手をつないだ。
「あのさあ、俺たちってもしかしたら初めて手をつなぐんじゃないか?」
「あ、そうかも。手もつながずに結婚したんだ、私たち。」
「じゃあ、もっと色々やってみますか?」私が聞くと彼女は笑って、
「遠慮しておきます。もう十分。もう眠いわ。部屋に戻って寝ます。」
「うん、わかった、おやすみ。風邪をひかないように。」
「ありがとう。おやすみ。また明日。」
突然目の前が暗くなり、一瞬の隙をついて彼女は私の頬にキスすると部屋に戻っていった。
こんなに近くで彼女の存在を感じたのは初めてだった。
昭和55年11月22日