今日もまた訃報が届く。
高橋幸宏氏の逝去が。
本当に時の流れが激しいと感じる。
かくいう私も昨夜入浴中にふと自分が死んだらどうなるのだろうと考えた。
風呂から出たあと奥様に「自分が死んだら誰にも言わずにとっとと火葬して墓に入れて欲しい。葬儀はいらない。」と言った。奥様は「それを書いておいて欲しい。」という。
理由は、残ったものの中にはきちんと葬儀をすべきだという人が絶対に現れる、そうなったときに故人の遺志だから、と伝えても理解してくれない人もいるはずだ、と。
たしかにそのとおりである。
であるから近々書いておこうと思う。
なぜ葬儀をしなくて良い、と言ったか?
それは仕事を辞めてから(2〜3人を除き)誰かを尋ねることもなかったし、逆に私を個人的に訪ねてくれる人もなかったからである(無論、例外はある)。それはコロナ禍も多分に影響しているとは思うが、そういう生き方を私が選び実践してきたからだ。私生活で他者との関わりを極力控えてきた。私は他者との関わりの無い中で生きたかったから退職した。退職の本当の理由はここにある。
社会の中で生きていくにはそんなこと言ってられないだろう。それはやはりわがままだ。というのも十分理解している。
まぁ、意固地な爺が戯言を言っていると思っていただいて、我儘を通したいのだ。
それにしても、ここ数日心を乱されることが多い。
夏の午後4時の日差しは、まだまだ強い。しかし、冬の午後4時の日差しは弱い。