Guitars590’s blog

愚か者の力を馬鹿にしちゃあいけない。

3日・4日の土日は、来客が多く作業もUPもできませんでした。やはり平日だった31日に大勢の方が来てくれたのですが、土日の方が仕事の都合上、出掛けやすいというのが本音でしょう。ま、そんなこんなで来客の対応に追われた土日でした。
一応、2日分の最後のところに補足で1項目UPしておきました。この連続した文章をここに書き始めてから、普段のアクセス数よりも多くアクセスをいただけるようになりました。皆さん、きっと塗装では悩んでいらっしゃるのかなぁ、なんて感じています。今日からChapter3を載せていくことになります。なお、Chapter1に関しては、その後UPになるかもしてません。
CHAPTER3

  • Finish Colorants(仕上げの塗料)

 ギターに真の個性を与える重要なフィニッシュのパートを始めよう。多くのクラフトマンはギターを完璧に美しく作ろうとして心血を注ぐ傾向がある。だが、色彩はギターを印象深くする重要なものだ。どこにも色が着けられていないギターは非常に稀である。「ナチュラル」フィニッシュのギターであっても、ネックやバック、サイドには格調高く木部に効果的なスプレーが施されているものだ。
 フィニッシュにおける着色を学ぶことは、学術的な要素を持ち、ギターを仕上げる上で疎かにできない部分である。通常、あなたはあなた自身の着色剤を作らなければならない。「なぜ買わないのか?」と問うだろう。あなたは必要な材料を購入することができる。しかし、ラッカーに色調をつけたり、彩度を考えたり、混ぜたり塗ったりという仕上げの行程はお店のカウンターの向こうや、ホームセンターの棚には並んではいないのだ。ギターフィニッシャー(仕上げ人)は、ほんの僅かの材料からバリエーションを広げ、無数の効果をあげられることを知っているのだ。どのように彼らは塗るのか、透明と塗りつぶしはどこで使い分けるのか、どの段階でギターに着色するのか、時としてほんの小さなタッチの違いで大きな効果が得られるので、最終的にわかってもらえると考える。
A Short History of Guitar Coloring
ギターは昔からある楽器であるが、20世紀は着色の時代であった。ここでは、重要な当時の流行と材料に関する簡単な歴史を述べていく。
1900 to 1930
 1900年代の初頭、ギターにはナチュラル・カラー・フィニッシュが施されていた。それらのギターはシュラックとバーニッシュの両方の色調が金色に経年変化したものである。1920年代末期には木調の染料や自然の染料のみならずラッカーも経年変化している。木が経年変化すると、木自体の色は濃くなる。そして塗装はより金色へと変化していく。この年代のギターメーカーはネックやバック、サイドをdyeステイン着色し、木材の開いた木目(導管)埋めていた。マーチン、ギブソンともにマホガニーウォールナットの色調を使っていた。ギブソンは「ダークマホガニー」と呼ばれる紫色がかかったワインレッドを多くのギターやマンドリンのサイドやバックに使っていた。不透明な黒のピグメント・バーニッシュが美しいギブソンのスタイル0タイプに数多く見られる。また、いくつかのギブソンマンドリンやギターにトップ(表板)の着色として黒や白が使われた。
 ギブソンは1930年に至るまでの10年くらいの間にサン・バーストを使い始めた。マーチンは1930年代に入るまで、ラッカーやスプレーの道具を使い始めないので、それらを使い始める1930年代に入ってからサン・バーストを使い始める。ギブソンは初期のサン・バーストを手作業でおこなっていた。多くはゴールデン・イエローの上に赤を吹いたり、ゴールデン・イエローの上に茶色がかった黒を吹いた。(Lloyd Loar「クレモナ・ブラウン」サン・バーストは、バイオリンのアンティークな仕上げをモデルにしている)ギブソンはアルコール系のステインを使うのをとても好んだ。とは言っても水性のステインもおそらく使っていたとは思う。ギブソンは初期のサン・バーストは木地に直接着色していた。

ふう。やっと30年代が終わりました。明日は、60年代まで一気に行きましょう。それにしても世の中は暖かいですね。まるで春のようです。そういえば今年は花粉がまだ来ない。これだけ暖かいのにいったいどうしたことでしょうか?ま、それはそれで良いのですが。あぁ、それにしても本家のUPができません。何とかしなくては!